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名古屋高等裁判所 昭和33年(ラ)45号 決定

抗告人 広岡正己

被抗告人 伊藤節子

主文

原審判を取消す。

被抗告人の申立を棄却する。

原審判並に抗告手続費用は被抗告人の負担とする。

理由

(当事者の主張)

抗告人は抗告申立の趣旨として「原審判を取消す、被抗告人の申立を棄却する」旨の裁判を求め、その理由として次の通り陳述した。

(一)  原審判は抗告人に対し被抗告人と同居して扶助すべきことを命じた。しかしながら被抗告人は之より先昭和三十二年十一月七日に名古屋地方裁判所へ訴を提起して、抗告人に対し慰藉料二十万円の請求をなし右事件は目下審理中である。斯様に当事者間に慰藉料請求訴訟迄けいぞくし、双方の感情が極度に対立している時に同居して円満な生活をいとなめるはずがなく、原審判は抗告人に不可能を強いるもので失当である。

(二)  次に原審判は抗告人に対し被抗告人と同居する迄の間、月額金五千円の給付を命じた。しかしながら仮に抗告人に金銭給付義務ありとしても、原審判の命じた金額は失当である。被抗告人は一人前の健全な女子であるから自から労働して生計を支うべく、抗告人がその生活費全額を負担すべき義務はない。抗告人は月収二万円足らずで抗告人の外に同居中の母及び四人の姉を扶養する義務があるから、之等の点も扶養額の決定に当り考慮されたい。尚、被抗告人は自己のわがままで無断家出したものであるからその為め生活に窮しても自業自得である。

(三)  なお、原審認定の別居の経緯は事実に反する。実情は、内縁成立以来被抗告人の母は毎日のように抗告人の家庭に出入干渉し、抗告人が注意すると今度は被抗告人が実家に戻るようになつた。而して被抗告人は抗告人に対し(イ)家計一切を被抗告人に無条件で任せよ、(ロ)抗告人の財産は全部被抗告人に渡せ、(ハ)抗告人の親兄弟は被抗告人に干渉するな、但し被抗告人の母の干渉は受けよ、(ニ)被抗告人は抗告人の母の面倒をみる必要のないことを確認せよ、との無理な要求を出したので抗告人が之を拒絶したところ被抗告人は之を容れられねば戻らぬと称してそのままになつたものである。

以上の次第につき抗告の趣旨の如き裁判を求めると陳述した。

被抗告人は抗告棄却の裁判を求め、抗告人の主張に対し左の通り答弁しかつ主張した。

(一)  抗告人の主張(一)のうち、慰藉料請求訴訟けいぞくの事実は認めるが、右訴訟のけいぞくは本件請求の妨げとはならない。

(1)  慰藉料請求権の行使は必らずしも相手方の感情を害するとは限らず、却つて相手方の反省を促す場合もある。抗告人が之により感情が極度に対立し同居にたえぬというのは自己の責任を反省しないからである。

(2)  なお、被抗告人のなし居る別件慰藉料請求訴訟は、内縁関係の解消による慰藉料の請求ではなく、内縁関係の継続中に起つた同居拒絶等の事実により被抗告人の蒙つた心身の苦痛の慰藉を求めているに過ぎぬから、本件において内縁関係の継続現存を前提として同居扶養を求めても両者は矛盾しないものである。

(二)  抗告人の主張(二)は失当である。被抗告人は抗告人より遺棄され、昭和三十三年三月一日以後は失業手当も打切となつたので、将来の生活にそなえるため、目下洋裁技術の修習中であり、就職していないから、収入は皆無である。又、実家は貧困である。之に対し抗告人は月収約二万円で要扶養者は母一人である。それ故、原審認定の扶養額は相当というべきである。附言するに夫婦間の扶養(扶助)義務は他の親族間の扶養義務に優先するから、抗告人は他の親兄弟を扶養しなければならぬとか被抗告人が現在他の者より扶養されている等の理由で、本件扶養義務を免れることはできぬものである。

(三)  抗告人主張事実(三)は否認する。被抗告人は内縁関係成立以来抗告人の母及び姉四名と同居して忍従の限りをつくしたが、遂に発病して実家で倒れたところ、その晩抗告人より同居拒絶の意思表示を受けたというのが実情である。

以上の通り主張した。

(当審の判断)

そこで考えるに被抗告人の本件申立が抗告人被抗告人間の内縁関係の現存を前提とするものであることはいう迄もないし、抗告人も本件における主張としては右内縁関係の現存を前提として答弁していることが認められる。

しかしながら本件審理の結果によれば右内縁関係が現存するものとは認め難く、(家事審判事件及びその抗告事件において当事者間の自白も裁判所の事実認定を拘束し得ぬし又、裁判所は職権を以て当事者の主張なき事実をも認定し得ることはいう迄もない。)むしろ右内縁関係は左記の如く既に消滅していると認めるのが相当である。

即ち原審における被抗告人、抗告人(一部)参考人伊藤たきの各供述、当審における抗告人(一部)被抗告人の各供述、原審家庭裁判所調査官の各報告書(第一回)(第二回)、原審提出の訴状(写)を総合すると、抗告人と被抗告人とはいわゆる見合結婚の形式により昭和三十二年五月一日挙式してその頃内縁関係に入り同棲を開始したものであるが、抗告人方は特に勤倹貯蓄を重んずる家風であり、又、抗告人は昭和十一年に父が死亡して以来抗告人の母の手で育てられて来た関係上、母いくの意見が重きをなす傾きがあつたところ、婚嫁後の被抗告人の働きぶりは抗告人の母の意に満たぬものがあり、被抗告人として抗告人等の処置に不満な点もあつたところ、婚嫁後二ヶ月程した同年七月八日頃、被抗告人が外出先で風邪のため俄かに発熱した為め近くの実家へ戻り、抗告人の許諾の下に引続き療養中、四日程後、仲人を通じて抗告人方より「被抗告人は肺病だから治る迄実家で療養されたい」旨の申入があり、その後は被抗告人が婚家へ戻ろうとしても抗告人方が之を拒否して現在に至つていること、本件申立前に被抗告人が抗告人に対し申立てた婚姻履行請求の調停も抗告人側の拒絶により不調に終つていること、右昭和三十二年七月八日以後抗告人被抗告人は引続き別居して居り、抗告人は被抗告人に対し生活費の仕送りもなさず、夫婦たるの実はないこと、被抗告人より抗告人に対し別件慰藉料請求訴訟並に本件審判申立があり、抗告人は右申立に対しすべて之を争つてその紛争は激烈なこと、抗告人被抗告人間には子供もないことを各認め得るものであり、以上の諸事実を総合する時には、上記昭和三十二年七月十二日頃被抗告人の申入は単なる一時的別居の申入に留まるものではなく、被抗告人の推量する如く、予てから被抗告人の働きぶりに不満を持つていた抗告人の母が今回の発病により被抗告人の健康状態に疑念を抱いて内縁解消を思い立ち、抗告人が之に同調して、病気療養に仮託して内縁解消を申入れ、以後内縁関係は一方的に解消されたものと見るのが相当である。

尤も上述の如く被抗告人としては元より内縁解消に応ずる意思なく、抗告人の内縁破棄には異議あるものであるが、法律上の婚姻関係とは異なり、内縁関係は一方当事者の解消の意思表示と事実上の婚姻関係の廃絶とさえあれば解消されるものと解するの外なく、後は不当破棄者の損害賠償責任を追求するの外途がないものと考えられる。

又、抗告人は原審並に当審において内縁関係解消と定めた訳でもない如く述べているが、上記認定の如く一貫して被控訴人の同居要求、扶助要求を拒んでいる抗告人の行動に照してみれば、抗告人の右供述は何等かのためにする(或いは内縁関係不当破棄の責任をおそれての)一片の逃げ口上に過ぎぬと思われるので措信し難くその他抗告人の供述中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

然らば、抗告人被抗告人間の内縁関係は昭和三十二年七月十二日頃抗告人により一方的に解消せられたものとみるべく、右内縁関係の継続現存を前提とする被抗告人の本件申立はその余の点につき判断する迄もなく失当であるところ、之を認容した原審判は失当につき之を取消して、被抗告人の本件申立は棄却することとする。

よつて家事審判規則第十九条第二項、民事訴訟法第八十九条、第九十六条を適用し主文の通り決定する。

(裁判長裁判官 県宏 裁判官 奥村義雄 裁判官 夏目仲次)

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